Chiyoda Gakuen
大阪暁光高等学校第68回卒業式に際し、祝辞を申し述べます。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。又、保護者の皆様には、三年間を振り返られ、お喜び、感慨も一入のことと存じます。この間本校教育に変わらぬお力添え頂きましたこと、心より感謝申し上げます。有難うございました。
ご来賓の皆様、年度末を控えお忙しいなかご臨席賜り有難うございます。日頃より本校教育へのご指導ご鞭撻に感謝致しますとともに、卒業生の門出を飾って頂き、この上なき幸甚と学園を代表して御礼申し上げます。
さて、卒業生の皆さん、皆さんは充実した高校生活を送ることは出来ましたか。楽しい思い出が詰まった3年間だったと言って貰えればこんなに嬉しいことはありませんが、迷った時、悩んだ時、目標を見失いそうになったり、見つけられないで途方にくれたりした時など、いろいろなことがあった人も少なくないと思います。しかし、そんな立ち往生してしまいそうな時、君たちにはご家族の支えは言うに及ばず、自分のことのように心配してくれる仲間や、じっと耳を傾けてくれた先生が居てくれたのではありませんか。どんな時も決して一人ぼっちではなかった筈です。今日の良き日を迎えられたのは、勿論君たち自身の頑張りにつきますが、それを支える幾重もの暖かい人の輪のなかに包まれていたことも忘れないでいてください。
卒業後、君たちはいち早く社会に出て就職する人、大学や短期大学、専門学校へ進学する人、本校看護専攻科へ進む人と夫々ですが、どの道も約束された平坦な道はありません。岐路、分かれ道で心惑うことも一再ならずのことでしょう。そんな折、大事にして欲しいことがあります。それは決断を要する行動を選択する際、一等一番に損得を考えてしまう癖が身についてしまっていないかと自分に問うて見て下さい。今、世界は自己中心的言説の大波に根こそぎ浚われてしまいそうになっているように思われてなりません。「自国第一」などと「自分良ければ全てよし」では「人を思いやる」とか、ましてや「その人の身になって」と言う発想そのものが、どこか遠くの絵空事のように聞こえて来るかもしれませんね。
しかし、本当は誰もが知っているのです。地球の資源には限りが有ること。石油や石炭などの化石燃料も何れは枯渇すること。原子力は人間の手には負えないこと。みんな知っています。でも私たちはつい見て見ぬ振り。「今この時」だけを只管握りしめ、勝ち負けだけに狂奔する私たちの在り様は絶望を通り越して、もう滑稽としか形容のしようがありません。いや、でもだからこそ浮かれまい、のぼせ上がるまい、ましてや悲嘆に暮れている場合ではないのです。昨日を知らずして今日を読み解くことは出来ません。様々なことが折り重なったその今日からの一歩一歩が君たちの明日を決定づけるのです。何事も人の所為にして頬被りせず、社会の実相に眼を凝らし、国連が2030年を目標年次として掲げる「SDG’S」(持続可能な開発目標)世界から貧困や飢餓を無くし、すべての人に健康と福祉を、そして質の高い教育をみんなになど17項目に亘るとてつもなく高い志のひとつひとつを胸に刻み、多くの人たちと心を通わせ、地に足を付けて為すべきことを成して欲しいと切に願っています。最後にこの拙い挨拶を些かでも意味あるものと致したく、君たちもよく知っている宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節をご紹介したいと思います。
「雨にも負けず」から
(前文)を略します
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
ここで賢治は「あらゆることに自分の感情を入れずに」と詠まず、「あらゆることに自分を勘定に入れずに」と言葉を選んでいます。「自分の」であれば、気分感情の感情ですが、「自分を」は損得勘定の勘定に入れずと断じているのです。何と潔い宣言でしょうか。そして賢治は東奔西走、様々な課題を抱える渦中に参じ、遂には自然の猛威を前にして
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
と結んでいます。
どんな時であっても自分を勘定に入れずにとは、自らを省みてとても眩しい一語ですが、皆さんも折々思い返して頂くことを期待し、祝辞といたします。
2020年2月21日
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